大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(合わ)493号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

「被告人は、東京都千代田区〈以下略〉の自宅において医院を開業し、妻乙および三男丙(当二七年)とともに居住していたが、右丙は生後間もなく脳水腫症による手肢萎縮症にかかり、以来知能も白痴に等しい、いわゆる重度の心身障害者であるためその看護養育には妻らともども多大の心労を重ねてきたものの、昭和四二年七月ごろから被告人の持病の下痢症と不眠症になやまされて心身とみに衰弱してきたことを知るや、老い先短かい将来を思うとき、引続き生存して行くであろう右丙および妻の行末を案じて思いなやんだすえ、いつそ同丙を殺害し、自らも自殺して一家の禍根を断とうと決意して、その機会を求めていたところ、同年八月二日午後三時過ぎごろ、たまたま妻が外出したのを確認して、直ちに実行に移すべく右丙の寝室である前記自宅二階四畳半の間に至り、同所において、同人エーテルをかがせて意識を失わせたうえ、同人の頸部タオルを巻きつけて強く締めつけ、よつて即時同所で、同人を窒息により死亡させて殺害したものである。」

というにあるところ、右の事実は、〈証拠等〉によつてこれを認めることができる。

しかしながら弁護人は、右犯行当時被告人が抑鬱状態の極度の悪化と多量の睡眠薬、酒の併用等とにより、是非善悪を弁別する能力を欠いたいわゆる心神喪失の状態にあつたものである旨主張し、検察官は、右犯行当時被告人には明瞭な意識が存し、記憶に欠けるところもない等の状況から、是非善悪を弁別する能力およびそれに従つて行動する能力のあつたことが明らかであり、被告人が当時鬱病であつたとしても、これらの能力に影響を及ぼさなかつたか、及ぼしたとしても心神耗弱の程度にとどまつたものである旨主張しているので、以下この点について検討を加える。〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

1  被告人は、昭和九年慈恵会医科大学を卒業後、同年に乙と結婚し、医師として伊豆大仁所在の稲葉病院に約一年半勤務したのち、父丁が東京深川で経営していた医院を手伝うようになつたが、同一八年召集を受け、軍医として軍務に服し、同二一年六月復員してから、同二二年四月肩書住居地にM医院を開いて、内科・小児科の医業を行つて現在に至つた。

2  被告人は、乙との結婚後、同一八年応召するまでに、同女との間に三男一女をもうけ、うち次男、長女はそれぞれ何事もなく生育し、次男は同三六年に、長女は同四二年三月にそれぞれ結婚して被告人夫婦から独立したが、長男は生後約一年三か月で死亡し、三男の丙(同一四年一一月一日生)は生後約六か月ごろ、脳膜炎に罹患したことから、治癒の可能性のない重篤な脳水腫症となり、以後は脳機能の障害によつて知能は白痴程度となり、視力も殆ど無く、手肢は萎縮、変形し、意思表示も歩行等も不可能な状態の、いわゆる重症心身障害者となるに至り、食事、排泄、入浴、時に起る痙攣発作の手当て等生存に必要な一切の世話を専ら被告人夫婦において隠密裡になしてきた。

3  このように被告人夫婦は、廃人同様の丙に対し、並々ならぬ労苦、心労を重ねつつ、両親としての看護養育の責を果してきてはいたが、丙の存在は、常に、心理的にも肉体的にもその重い負担となつており、自分らが年齢を重ねるにしたがい、身体の衰えも知るようになるにおよび、従前ほどに丙の世話ができるかどうかに不安を感じ、施設への養護委託も考えて、乙において、同四〇年に島田療育園宛に手紙を書き、同四一年二月には千代田区福祉事務所に相談に赴きもしたが、丙のような重症心身障害者の収容施設が不足していて、収容は困難である旨を聞かされ、結局は断念するほかなく、そうだからと言つて、被告人においては次男や長女に丙を養護する負担をかけることも憚られたため、自分の死後に残されるであろう丙や同人を抱えた妻の将来を考えると暗澹たらざるを得ず、自分の生命の続く限りは丙の世話を続けるが、自分が老死する際には、まず丙を殺害しようとさえ考えるようになり、その旨を乙にも冗談まじりに話したこともあつた。

4  ところで、一方、被告人は、時に、不眠を訴え、憂鬱な気分となつて往診も億劫がり、又手が震える等の症状を示すようになり、同三一年七月末には順天堂大学附属病院に入院し、抑鬱状態との診断のもとに、持続睡眠療法によつて治療を受けて、同年九月初めごろ退院したが、なお完全な寛解には至らず、数年後再び睡眠障害が起り、不安定な精神状態となつて、口数も少く、時には数日間休診するようなことを繰り返し、そのため睡眠薬を連用するようになつたものの、その間は専門家の診療を受けることはなかつたが、同四〇年ごろから右症状は悪化し、そのうえ慢性的に下痢をするようになり、同四二年になると、それに加えてしきりに尿意を催す症状も起り、さらに睡眠障害もその程度を増したため、酒を睡眠薬と併用して辛うじて睡眠をとるようになつたが、同年三月長女が結婚するや、親の責任を果したという安堵感と被告人夫婦のみが不具の丙と共に残されたという憂鬱感にとらわれて、徐々に生活の気力をも失い、診療も積極的に行わず、往診を断つたり、休診することが度重り、丙を抱えての家の将来のことをますます悲観的、絶望的に思い詰めるようになり、同年七月一九日以後は、昼間から多量の睡眠薬と酒を飲み、食事も満足にとらないで終日床に就き、診療も全くできない状態となるに至つた。

5  そこで妻乙は、今後の家の生計を案じて、同月二九日次男、長女を呼んでその善後策を相談した結果、医院を廃業して、その土地、家屋を処分し、閑静な土地に転居して老後の生活の方途をたてるということになつたが、被告人は、これに同意はしたものの、心中では丙を抱えてはどこへも行けはしないと悲観し、丙を自分の死を道づれにしようとの従前からの考えを思い起し、丙と自分さえいなければ、妻も老後を安楽に暮していけるだろうと思い詰めて、この際ひと思いに丙を殺し、自分も死のうと決意するようになり、秘かにその方法等を考えて機会をうかがつていたところ、おりから同年八月二日妻が土地等を処分する用件で外出したので、好機いたれりとして決行を思い立ち、まず雨戸を閉めたうえ、妻宛の遺書を認めて睡眠薬と酒を飲み、次いでエーテル、タオル等を用意して二階にある丙の居室に行き、丙にエーテルをかがせて気を失わせてから、タオルをその首に巻いて「許してくれ」などと言いながら強く絞めつけた後、心臓の停止や瞳孔の散大などを確認して、死亡したことを知るや、階下に降りて更に睡眠薬と酒を多量に飲み、ガス栓を開放したまま眠つて、自殺を図つたが、間もなく帰宅した妻乙に発見されたためその企てを果さなかつたのである。

6  被告人は、右犯行後、日本大学附属病院に収容され、睡眠剤および一酸化炭素中毒の治療を受けたうえ、同院精神科の躁鬱状態であるとの診断のもとに、同月一八日慈恵会医科大学附属東京病院に転院し、同病院でも抑鬱状態であるとの診断を受けて加療され、最終的には内因性鬱病であるとの診断を受けるに至つた。

以上認定した各事実と、〈証拠〉を綜合すれば、被告人は以前から鬱病に罹患しており、それも反応性のものではなく内因性鬱病であつて、これまでも、丙の看護養育と言う重い心理的負担の影響もあつて、しばしば抑鬱状態を経過して来たが、特に同四二年七月ごろからは高度の抑鬱状態にあつたところ、家族が医院を廃業して転居することを相談するに及び、丙を抱えた家族の将来をいたく憂慮して、深刻な絶望に襲われるようになり、このような病的心理的負因によつて高められた自殺念慮の病的衝動によつて他の行為の選択を期待できない状態に陥り、その結果本件犯行に及んだものであつて、その精神障害の程度は右のように重篤であつたことが認められるので、被告人は、本件犯行時、是非善悪を弁別する能力を欠いた法律上いわゆる心神喪失の状態にあつたものと言うべきである。

もつとも前認定の各事実によれば、本件殺害行為の動機は必ずしも了解不可能な異常なものとも言えないうえ、犯行の手段・態様を見ても、周到とも言うべき計画準備に基き、遺書を認め、エーテルをかがせ、死の確認をもしているのであつて、丙や妻乙に対しての配慮も忘れず自らの行為をほぼ確実に把握して遂行しており、また、その後被告人が、犯行についての記憶を相当程度に保持していることとあわせ考えると、本件犯行が、混濁のない、かなり、清明な意識のもとで行われたと認められ、また首を絞める際「許してくれ」と言うなど、善悪の判断力をも一応は有していたと見うるのであつて、これらの諸点からすれば、被告人は本件犯行当時、なお是非善悪を弁別する能力を或程度有していたのではないかとの疑いもないとは言えない。しかしながら、被告人のおかれたような内因性鬱病による高度の抑鬱状態の下においては、人を殺害して自殺しようと決断してこれを遂行する面においては、殆ど意識障害はなく、その善悪の判断をなしうるけれども、鬱病に特有な感情状態の異常と自殺念慮によつて、それ以外の行為を選択する判断をなしうる余地が全くとざされ、このような決断を覆し、或いは抑止することも全く期待できない状態になるのであつて、結局人を殺害して自殺しようと決意すること自体が、抑鬱状態の作用によるものと言えるのである。このように、右の一点において、被告人には責任能力が存したとの判断をなすことができず、前記各事由も右判断を左右しうる合理的根拠とはなしえないのである。

以上述べたように、被告人の本件犯行は、責任能力を欠く心神喪失者の行為であつて、罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条により、被告人に対して無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。(清水春三 竪山真一 中込秀樹)

(判決宣告後の訓戒)

本件については、新聞、雑誌などの記事が安楽死なる標題の下で取り扱つていることから、社会一般がこれを安楽死の場合であるかのように考え、また被告人においてもこれが安楽死であつて法律上ゆるされる正当行為として無罪となるべきものであるというように誤解する虞れがあるので、弁護人は賢明にも本件については安楽死の主張はしなかつたが、この点について若干ふれることとする。

内外の判例において、一般に安楽死の場合として違法性がなく、無罪となつたという事例は皆無のようであり、学説上もこれを許容するか否定するかについては議論の存するところであり、これを是認する立場をとるものでも、不治の傷病に冒され、しかもその死が目前に迫つていること、傷病者の肉体的苦痛が甚しく、何人も真にこれを見るに忍びない程度のものであること。もつぱら傷病者の死苦の緩和のみを目的としてなされたこと、傷病者の意識がなお明瞭であつて意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾のあること、医師の手によることを本則とし、これにより得ない場合には医師によりえないと首肯するに足る特別な事情があること、その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものであることという要件がすべて充されるのでなければ、安楽死としてその行為の違法性を否定しうるものではないとするほど、その成立要件は極めて厳しいのである。これは、人為的に至尊なるべき人命を絶つ安楽死の濫用を防止しようとする考え方から来たものである。

本件の場合が、右に準ずるような諸要件を充すものでないことは判示するところにより明白であり、従つて本件は安楽死の場合として違法性がなく無罪となるべきものではない。当裁判所が本件について被告人に対し無罪の宣告をしたのは、被告人がたまたま本件犯行当時精神病に基因する心神喪失の状態にあつて責任能力がなかつたことによるのである(なお、本件の具体的状況上期待可能性の不存在を認めることもできない。)。不治とされ、廃人としての生涯を終る重症心身障害者といえども、生きる権利、幸福を求める権利を有し、その生命は、何ものにもかえることのできない尊厳なものである。重症心身障害者を持つ親や同胞の労苦、殊に老先短かい親の場合のその死後についての心痛のほどは、公の養護の不足している現状などを思うときは、察するに余りあるものがあり、本件の場合でもまことに気の毒にたえないものはあるが、そうだからと言つて、至尊なるべきその生命を人為的に絶つことは、前記に準ずるような厳しい要件をすべて充すような場合でなければ、違法性がないとはいえないのである。右のように安楽死は極めて厳しい要件の下でのみ是認される例外的のものであり、本件のような場合を軽々しく安楽死などとするような考え方はもつと慎重でなければならないと考えられる。このものの道理を社会一般はもちろん、殊に被告人はよく認識してもらいたいものである。世に、重症心身障害児(者)を抱える沢山の親達(同胞)が単独で、あるいは手をたずさえて、その子らの生命を一日も生きながらえさせ、かつ喜びを与えてやろうと労苦し、努力している崇高なる様を見聞するにつけても、重症心身障害児(者)に対する公の養護が充実する日の一日も早からんことを希求するとともに、被告人に対しては、愛児丙の冥福を祈りつつ今後は強く生きて行かれるよう希望する次第である。

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